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署名は、切り捨てた箇所にこそ宿る

文/原田 満
Macintosh 128Kの筐体内側に彫られた開発チームの署名
Macintosh 128Kの筐体内側に彫られた開発チームの署名。中央左寄りにスティーブ(ン)・ジョブズの名も見える。Photo: Carlos Pérez Ruiz / CC BY-SA 2.0(via Wikimedia Commons

初代Macintosh128Kの筐体の内側には、40数人の署名がある。

もちろん外側からは見えない。分解した人だけが見つけられる仕掛けである。1982年の2月、初代Macintoshの開発チームメンバーは一人ずつ、製図用紙に名前を書いた。製図用紙の署名が筐体の内側に彫り込まれた。本物の芸術家は作品にサインする、とスティーブ・ジョブズは言ったそうだ。最後にジョブズも署名した。

12年前、ぼくは個人のブログで仕事の作家性について書いたことがある(仕事には「作家性」を)。おそらく読んだ人は、10人かそこらだろう。最後まで書いておいて、結局最後は、作家性の定義が自分でよく分からなくなってしまった。


現代では、署名のない仕事のほうが圧倒的に多い。

旋盤で金属を削っている様子。刃先と切りくず

小関智弘さんの本に、旋盤の話が出てくる。小関さんは町工場で50年ほど旋盤を挽きながら、小説とノンフィクションを書いていた作家だ。『職人学』という本の目次には「工業製品に個性はあるか」という項がある。隣り合わせで同じ部品を挽くAさんとBさんがいる。同じ図面、同じ機械、同じ刃物。それでも出来上がったものは見分けがつく——。ここで書かれる違いは、面粗度だという。

面粗度とは、削った面の「粗さ」のことだ。旋盤加工とは、簡単に言うとりんごの皮むきを九十度倒したものである。細く薄くむいていけば、真円に近づき表面もツルツルした仕上がりとなるが、時間がかかる。粗く太くむいていけば、ゴツゴツはしているが、速い。

仕上がりがツルツルして丁寧なのは、Bさんのほうだった。ではBさんが優れていたのか? 否。Bさんは何から何まで意味なく馬鹿ていねいで、仕事が遅かったのだ。Aさんは、図面上必要とされる箇所はしっかりと仕上げ、あとはスピードを優先する。仕事にメリハリがあるのはAさんだ、という紹介のされ方だった。

つまり、両者に差がついたのは、手をかけなかった場所だった。

ぼくも旋盤を挽いていたので、この話はよくわかる。職人にとって、図面で指示された公差を満たすのは当たり前のことであって、精度の部分に違いは現れない。満たせなければ、ただの不良なのである。仕事の値打ちは、その先にある。どこまでを粗く仕上げ、どこから細かく作り込むか。前の工程でどこまで精度を維持して、後ろの工程では何を追い込むか。

巧みな人間が仕上げた製品は、速く、美しく、不良が出ても見つけやすいし、次の工程の刃物や砥石も、長持ちすることが多い。

工業製品に製作者の名前は刻まれないが、それでもこのように「あの人の仕事だな」と分かることがある。これを12年前のぼくは「作家性」と呼んだのだ。どこを捨てて、どこに集中したのか——。「作家性」は、おのずと捨てられた箇所に宿るようになる。

浜松の注染工場で、職人さんは言っていた。糊の硬さは柄の細かさやその日の天気で変わる。おおよその配合は前の日に決めておいて、当日の条件を見ながら微調整する。染料の具合も毎日違う。配合は紙に残らない。マニュアルはあるんですか?と聞いてみると、少し考えてから、「マニュアルがないとできません」という方には、難しい仕事かもしれませんね、と言った。突き放すような口調ではなかったが、そこに価値はないのだ、と言っているようにも見えた。

マニュアルには、主にやらねばならぬことが書かれている。「ここはきちんとしなくてもいい」「この面は粗くてもいい」とは書きにくい。書いた瞬間に、誰かが責任を問われる形になるためだ。

それに、これまで残そうとしてきたのは、寸法や時間や不良率といった数字のほうだった。数字は構造をつくれば残る。捨てていい箇所の判断は、天気や、素材や、後工程の都合、周囲との人間関係などにも関わる内容で、関連項目や構成要素があまりに多く、残しにくい。

言語化できないのではない。捨てるべき箇所に、あえて言語化する価値を見出してこなかったのだ。

職人が名前を表に出し始めていた注染という世界が、署名として残らない工業製品を見てきたぼくには新鮮だった。削ったシャフトの端面に名前は入らず、名称と番号で管理される。

でもきちんと製品を見れば、そこに作家性が感じられる。

名乗り始めた仕事と、今後も名乗れない仕事。どちらにも、こだわる場所と捨てる場所の判断はあるだろう。しかし、自分で名乗れる前者よりも、後者は、残す仕組みを作らなければ、そもそも次の世代へも渡っていかないだろう。


注染から連想して思い出した。京セラの稲盛和夫さんが、浴衣姿で本田宗一郎さんに叱られた話だ。

稲盛さんはこう回想している。京セラをつくって2年目あたり、経営というものが分からなくて苦しかった頃、有馬温泉で開かれる経営セミナーに参加した。参加費は高額だったが、本田宗一郎が講師だとあったので、無理をして行ったそうだ。参加者は温泉に入り、浴衣に着替えて大広間で待っていた。本田はそこに現れると開口一番「みなさんは浴衣姿で何をしているのか、温泉に入って経営を学ぼうとは悠長だ、そんな金を使う暇があるなら早く会社へ帰って自分の仕事をしなさい」と参加者を叱ったという。

理不尽な話である。真面目に経営を学ぼうと参加したのに、冒頭で登壇者に叱られた。本田さんは、学ぶという行為において、どこを追い込みどこを捨てるかを切り分けていたのだろう。温泉と浴衣は、彼にとって学びの外だった

ホンダ・スーパーカブ初代(1958年)実機
ホンダ・スーパーカブ初代(1958年)実機。Photo: Mj-bird / CC BY-SA 3.0(via Wikimedia Commons

ところで、本田技研工業を躍進させた「スーパーカブ」という製品を、本田宗一郎という個人と切り離して考えるのは難しい。冒頭の、初代Macintoshとジョブズもそうである。オリンパスのOM-1(型番のMは、設計者・米谷美久のイニシャル)なども同じくそうだろう。どの工業製品も、組織において大勢の手を介して生まれたものである。しかしそれでも尚、出来上がったものから特定の個人の性質が伝わってくる。

同じホンダでも、初代シビックの頃になると、個人よりチームの色が濃くなる。iMacもそうである。シビックもiMacも個性は十分に強い。ただ、それを個人の名前で呼ぶのには無理がある。

作家性には、しきい値があるのだと思う。たった一人の思想や個性が、完成品に宿る領域が確かにあるのだ。

もっともカブの、頑丈で修理もしやすいという特徴が、本田宗一郎個人の思想から来ているのか、顧客の要求が起点だったのかは分からない。Macの署名も、ジョブズが本当は誰に宛てていたのか確かめようがない。残るのは、その人と切り離しにくい、という感触だけである。


話が飛ぶが、昨今のAIである。

ノギスで寸法を測る様子

生成AIは、すべての箇所を等しく整える。手順書も、報告書も、図面のコメントも、検査成績書の体裁も、どこも同じ丁寧さで仕上げてくる。捨てる箇所、粗い部分がない。面粗度に置き換えてみたら、すべて均一なのである。

どこを追い込み、どこを捨てるか。この判断は人が指示しないと宿らない。指示するには、自分が、経験から蓄えた判断軸を持っていなければならない。AIが普及し、整った外観を持つ成果物はこれからいくらでも増えるだろう。しかし、捨てていい箇所を決められる人間は、AIほど急速には増えていかない。

工場のDX推進も同じところで足踏みするだろう。見える化、標準化、共有フォルダ、生成AI。確かに便利な道具は増えた。でも、言葉にできなかった判断や、紙に残さず捨てた部分は、次世代に渡らないままだ。

組織が大きくなるほど、一人の手癖は完成品まで届きにくくなる。他の誰かに渡すには、仕組みしかない。

AIが均一に整えるほど、人間が無意識にやっていた取捨選択のほうが目立つようになる。


12年前のブログで、最後に結論づけられなかったのは、熊谷守一という画家の資質だった。

熊谷守一は1967年、87歳のときに文化勲章の内示を断っている。理由は「これ以上人が来てくれては困る」というものだった。彼は5年後の叙勲も断っている。脳卒中で倒れてからの30年近くは、ほとんど家の敷地を出ず、自宅の庭に寝転がって、虫や草を描いていた。97歳で亡くなるまで、ずっとそうしていたそうだ。

自分を外に向けることを全部捨てた人である。それでいて、絵にはきちんと署名がある。彼の署名が承認欲求から来ているとは、どうしても思えない。かといって、あまたの工業製品のように、人類を前へ進めるために描いていた、という仰々しさも感じないのである。だからあの時、彼を説明することはぼくにはできない、と筆を置いてしまった。

今でも説明できない。

しかしぼくの中に12年後にも残っていたのは、当時結論づけた側ではなく、言葉にできなかった側だった。

そう考えると、Macintoshの署名が筐体の内側にあることも、妙に腑に落ちる。あそこは仕様が何も指定していない場所だ。基板でも画面でもない、誰も見ない裏側——。作家性が宿るのは、はじめからそういう場所だけだったのかもしれない。

工業製品に署名はない。それでも残るものがある。どこを丁寧にやらなかったか。どこを捨てたか。どこで迷ったか。

残すべき箇所だけを残すのではない。余白を残したまま、次の誰かが気付くかもしれない形で残しておく——。

そこにぼくの仕事があるような気がしている。

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