わかりやすさに抗う ── AIと、言語化と、デザインと。わかりにくいものの価値のはなし
花火大会の日だった。浜松駅は浴衣姿の人であふれ、みんな同じ方向へ歩いている。花火というのは不思議なもので、人の流れに任せていれば、自然と会場にたどり着ける。ただその日のぼくは、人混みに抗って待ち合わせの方向へと歩いていた。2人のデザイナーを引き合わせる約束があったからだ。
一人はFさん。地元で長くデザイン会社を経営してきたベテランである。もう一人。Aさん。現代アートの世界を経て、デザインや写真の仕事にたどり着いた方だ。ふたりとも、かなり話が面白い。初対面だが、きっと話が合うだろうと思った。予感は的中した。
さらにぼくが唸ったのは、二人とも「わかりやすさ」に対して、うっすらと警戒心を抱いていたことだ。
「わかりやすさ」への違和感
きっかけはAさんの美大受験の話だった。高校時代、ひとりの友人が美大進学を途中であきらめてしまったそうだ。受験が近づくにつれ、それまで「自由に描きなさい」と言われていた絵画というものが、「こう描けば点が取れる」という指導に変化したことに納得がいかず、絵を描くこと自体が好きではなくなってしまったのだと。
正しい陰影。正しい構図。正しいデッサン。もちろん技術としては必要なのだろう。けれどその人には息苦しく、それを聞いたAさんもまた、似た感覚を持ったそうだ。
「むしろ、何も知らない人が衝動で作ったものの方が面白かったんです」
絵に対して、ちょっとしたひっかかりを覚えたAさんは、巡り巡って美術の専門学校に進学した。かなり言語化にうるさい学校だったらしく、与えられた課題はいつも「自分の作品を、必ず言葉で説明しなさい」というものだった。
Aさんは、少しひねくれたことを考えた。「だったら、意味がわからないものを作ろう」
普通は逆である。わかってもらうために作る。しかしAさんは「分からせない」ものを作った。ただし、本当に意味がないわけではない。立ち止まる人だけが気づける場所を、きちんと設計する。意味は隠す。そのくせに完全には隠さない。あとから振り返ったときに、「ああ、そういうことだったのか」と思える程度の痕跡だけを残しておく。
まるで向田邦子の書くエッセイのようだ。
あるテーマがある。全然違う文脈の話が出てくる。次も別の話題。当然とっちらかる。……しかし、徐々に向田さんの内面が文章に侵入してくるあたりから、文章のスピードがぐんぐん上がっていき、見えなかった共通項が現れてくる。やがて、その共通項を拠り所に見事にテーマが重なり合い、最後には「しん——。」と、一点に収束するのである。
——話を聞きながら、ふと考えた。人は「わかる」と安心する。だから説明を求める。名前を付けたがる。分類したがる。
しかし、本当に面白いものは、たいてい一度ではわからない。映画もそうだ。すぐれた小説やエッセイも。人もそうである。その場で全部わかった気になれる相手より、あとから何度も思い出してしまう相手の方が、結局は深く心に残る。
手間の中にこそ辿り着ける場所
そんな話を受けてFさんは、好きだったレコードジャケットの話を始めた。ピンク・フロイドに、一頭の牛だけが写っているアルバムがある。バンド名も書かれていない。「原子心母」という。原題は「Atom Heart Mother」。ジャケットを手がけたのは、イギリスのデザイン集団〈ヒプノシス〉だ。牛である説明はない。理屈もない。なぜ牛なのかもわからない。けれど忘れられない。
「本当はデザインって、こういう仕事だったんだよね」Fさんは言った。
Fさんの話を聞きながら、デザイナーだった若い頃を思い出す。写植の時代である。文字を一文字動かすために、写植屋へ走り、トレスコープで拡大した文字を焼き付け、印画紙を切り貼りし、印刷屋と時にはケンカしてでも色校を追い込む。紙の質感を決める。効率だけ見れば、今の方が圧倒的に優れている。だが、あの頃は誰も「わかりやすさ」だけを追いかけてはいなかった。むしろ面倒なことの中にしか辿り着けない場所があった。
ぼくは少しずつ確信し始めていた。この夜のテーマはデザインではない。アートでもない。AIでもない。人はなぜそんなにも「理解したがるのか」
振り返ってみると今夜ぼくらは、「分かり易さを、できるだけ分かり難く」「分かり難いものを分かり易く。」そんな話をずっとしていたのである。
不思議なもので、本当に面白い話というのは、誰かが議題を決めて始めるものではない。酒が進むにつれ、話は少しずつ別の方向へ流れていく。川の流れのように、気がつくと別の場所へと運ばれている。
建築とメタボリズムの思考
黒川紀章の話になった。数ヶ月前、ぼくは和歌山で開かれていた展覧会を見てきたばかりだった。まだ建築家として大きな実績もない若い頃から、黒川は「メタボリズム」という思想を語っていた。都市は成長する生き物である。建築は変化し続ける。いま聞いても大風呂敷に聞こえる。まして60年代の当時なら、なおさらだろう。ところが彼は、それを堂々と言葉にしていた。
Fさんが言った。「結局、ああいう人って全部説明できるんだよね」
隈研吾もそうだという。完成した建物を見れば、まず「美しい」が先にくる。しかし本人の話を聞いてみると、なぜそうなっているのかを延々と語れる。土地。歴史。素材と構造。人の流れ。社会との関係。どこまでも掘っていける。
その話を聞きながら、納得しつつも妙な気分になった。Aさんは「ちょっと見ただけでは、意味がわからないもの」を作りたいと言った。Fさんは、昔のデザイナーが持っていた「職人の感覚」を大事にしたいと言った。どちらも言葉ではない。言葉のその外にある世界に惹かれている。なのに、二人が好きなもの、尊敬する人たちは、そろって言葉の達人だった。
不思議な話だ。いや、もしかすると不思議ではないのかも。言語化できない人が、感覚の人とは限らない。手触りを大切にしてきた人ほど、いつか言葉にできるようになる。
その日は話があっちこっちにいくのだが、話題はサッカーへ飛んだ。ワールドカップが終わったばかりだ。
「型」という名の共通言語
サッカーと言っても、正確にはAさんが深く関わる、ビーチサッカーの日本代表の話だ。Aさんが教えてくれた。強いチームには共通点がある。選手たちが同じ景色を見ている。同じ言葉を使っている。例えば攻撃の形があり、ベテラン選手は口に出さずとも、感覚で分かっている。「ここでこう動くんだろう」ところが若い選手には伝わらない。
そこでAさんがやったのは、攻撃や防御の型に名前を付けることだ。この動きはAという攻撃。あのフォーメーションはBという名前にしよう。たったそれだけで、言葉にしにくかった感覚が共有できるようになる。今まで頭の中にしかなかったものが、チーム全体の財産になる。
職人の技術継承とよく似ている。旋盤工が「削りの音がこう変化したら」と言う。板金職人が「気持ち強めに」と言う。本人には分かっている。でも聞いている側には伝わらない。だから共通の言葉を作る。数字で表す。動きに名前を付ける。そうして初めて、他人に渡せるようになる。
そう考えてみると、その夜の話はずっと同じところを回っていた気がする。Aさんの学生時代。Fさんのデザイン。黒川紀章。ビーチサッカー。
時計を見ると、かなり時間が経っていた。気がつけば周りの席もだいぶ空いている。話題はさらに現在へと飛んだ。
AIは自分の鏡
AIの話である。文章を書く。資料を作る。ウェブサイトも作る。昔なら何人も必要だった共同作業を、一人きりで進められるようになった。便利になった。本当に便利になった。
だが、使えば使うほどこう思う。AIは察してくれない。人間同士なら、「なんとなくこのくらい」と感じていたら、周りが先回りしてくれることがあるが、AIはそうはいかない。色。余白。文章の温度。誰に向けているのか。どんな気分で読んでほしいのか。ひっかかりは、全部一度、言葉にしなければならない。AIは自分の理解度の鏡。自分が理解していないことを明らかにする。驚くほど正直なのである。
手触りや、白黒の途中のグレーの領域の理解など、本当に微小な感覚を理解している人だけが、それを言葉にして他人へ渡せる。
店を出る頃には、夜風が少し涼しくなっていた。浴衣姿の女の子たちが、下駄を鳴らして家路を急いでいる。花火大会が終わったらしい。
花火は分かりやすい。空に上がる。光る。消える。誰が見ても同じで、あとに何も残らない。クライアントは揃いも揃って「シンプルに、分かりやすく」と言うそうだ。確かに、親切で行き届いた世の中になった。だけど、本当に愛おしいものは、いつも少しだけ分かりにくくて、喉の奥に刺さった魚の小骨のように、ちくちくと引っかかる。すぐに忘れてしまう百点満点の美人より、どこか影のある、そんなに好みでもない筈のあの人の顔を、雪が降るとふと思い出してしまうように。
わかりやすさは、本当に善なのだろうか。帰りの電車の窓ガラスに、少し酔いの回った自分の顔が映っていた。
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