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暗黙知はどうやって遺す(のこす)のか ── 2人と話して考えたこと

文/原田 満
酒蔵の軒先に下がる杉玉
酒蔵の軒先に下がる杉玉。新酒の合図であり、受け継がれてきた手仕事の標(しるべ)でもある

6月初旬。ぼくは台北のCOMPUTEXで、エッジAIフィジカルAIといった最先端の技術に触れていました。一週間後、今度は浜松のとある注染工場で、明治から続く手仕事を眼の前で眺めてる(浜松・注染工場で考えたこと

——この振れ幅の中にこそ、ぼくの居場所があると思っています。

注染工場では、ふいに自分の在り方に疑問を持つ瞬間がありました。そのモヤモヤの正体が見えてきたのは、最近です。——ある夜、2人と日本酒を酌み交わしていた、その時間からでした。(実は2人はお互い面識がなく、呑んだのはそれぞれ別々の日だったのですが、ぼくの思考を書き記すために、今回のコラムは架空の場の記録とし、同じ日に3人で話した体にしています)

おひとりは、デザイン会社を24年やっている先輩のKさん。事業を発展させた傍らで、オートバイや歌舞伎、映画、古いおもちゃなどに造詣が深い、趣味人でもあります。
もう一人は、自由人のNくん。彼は大企業に勤めながら、(のう)や着物、染めものや農業にまで深くのめり込んでいます。その夜もNくんは、浴衣で現れました。

2人と酌み交わした夜の赤ワインと、2つのグラス
2人と酌み交わした、ある夜に

行きつ戻りつしたぼくの思考の飛躍が、彼らと話すうちに、ひとつの結論に収束した気がする。自身の足下を、ちょっとだけ見直すことになった夜の話です。


ソフトウェアだけでは、世界は動かない

台湾の話から始めましょう。トヨタの時価総額がおよそ33兆円なのに対し、台湾のTSMCは310兆円。およそ9倍です。NVIDIAはさらにその倍の620兆円。2200万人が住む九州ほどの小さな島に、こんなスケールの企業がある。日本との違いに、ぼくは圧倒されて帰ってきました。(別の記事に書きました →COMPUTEX視察レポート

ただぼくがいちばん惹かれたのは、そのスケールよりも、帰ってから調べ直した別の文脈でした。会場はAIに関するテクノロジー企業一色でしたが、その足元で、HIWINのような、まったくの機械メーカーが、静かに存在感を増していたのです。AIがどれだけ賢くなっても、それを現実世界で活躍させようと思ったら、最後はメカトロニクスの出番です。物をつかむための腕が必要となり、関節や筋肉が要るのです。ソフトウェアの進化スピードが超高速鉄道並みだとしたら、関節や筋肉を担うメカが進化する速度は、いうなれば鈍行列車です。実験や検証、摩擦抵抗や摩耗との戦いは、一朝一夕には克服できないのです。

COMPUTEXから約2週間。最先端を見てきたはずの、現在の胸の内を正直に明かすのなら、残っていたのはCOMPUTEXではなく、その翌週に訪れた注染工場の職人さんたちの方でした。
ここにはマニュアルがありません。その日の天気で糊の硬さを変える勘は、紙のどこにも書かれていない。データ(形式知)だけでは、残せない事柄がある。加減とか、触覚とかといった人の手の感触は、暗黙知の領域にこそ本質がある。 ——この夜の話は、知らないうちにこうした、語れないものを遺すということ——、つまり継承という話に向かっていきました。


デザインは、設計である

ぼくは元々、工業高校を出たのち、グラフィックデザインの専門学校に通っていました。当初ぼくは、デザインというのは装飾のことだと思っていた。けれど磐田に戻って製造業に携わるうちに考え方が変わりました。「デザイン」という言葉は、日本語に直せば「設計」です。ぼくは今でも機械を見ると、部品の配置やその精度に、作った人の思想を読もうとしてしまう。

そのときKさんが面白いことを言いました。「おれは、最初にアウトプットが浮かぶんだよ。完成形がぱっと見える。人を驚かせるのが子供の頃から好きなんだ。ロジックはそのあと。もちろん仕事だから説明責任がある。だからあと付けで言葉を紡いでいく」。アウトプットが先で、ロジックは後付け。
翻ってぼくの仕事は、情報を集め、構造にして、そこからロジックを組み上げて、最後に答えを導く——。Kさんのスタイルとは、ちょうど逆の順序です。

けれども、ぼくは思うのです。Kさんの「ぱっと浮かぶ」は、きっと何もないところから湧いてくるわけではありません。24年、あるいはそれ以前から積み上げてきた、好きなもの、こだわりごとの厚みが、地層のように下に眠っている。何かの拍子に、その地層の上澄みが、完成形として染み出してくるのです。直感とは、論理の対極にあるのではなく、論理を咀嚼したのち現れてきた、本質という名の蒸留物なのかも知れません。段々と饒舌になっていくKさんから繰り出される、興味深い趣味の話を聞きながら、そんなことを考えていました。
これからの時代について、Kさんはこうも言いました。「作業はAIにやらせて、人はもっと考えたり、感情を使ったりするほうに向いて行かないと。AIを怖がる論調もあるけれど、自分のやっていることを言葉にして、その理屈を説明できる人なら、これからも、ちゃんと人間にしかできない仕事ができる」

このところ、ぼくは別のデザイナーの方とも話す機会がありました。デザイン会社を何十年もやってきたFさんという大先輩です。Fさんはこう言います。「デザインとは設計である。哲学も構造も思想も全部織り込んで言語化し、そこから組み立てないといけない」「デザインの世界は、成果物が感覚的だから、センスや装飾だけでやる人もいるけれど、オレは好まない。」——言葉を紡げることと、湧き上がる感覚に素直に従えることが、同じ人間の中に自然に共存できること。きっとそれが、ぼくが目指すべき到達点なのだと思います。


能(のう)の拍子 ── 数字で割り切れないもの

浴衣のNくんは能を演じます。だから彼の話には、ぼくが知らない世界の手触りがありました。

「能の謡(うたい)って、固定されていないんですよ」とNくんは言いました。だんだん速く、という決まりはあっても、どのくらいの速さに、いつ持っていくのかは、その日の気温や湿気、客の入りで変わる。場の空気を読んだ謡い手に、囃子方が瞬間に合わせていく。太鼓にしても、大鼓は乾いているほうがよく鳴るから焙じて使い、小鼓は湿り気が要るから湿しながら打つ。コンディションが正反対のものを、二人の打ち手がそれぞれ環境を読み、有機的に音調を整えていく。「それができるのは両方が熟練しているからです。文脈を、言葉ではなく呼吸を使って共有している。暗黙知をその場で共有していく、なんというか……チームプレイなんです」

その話を受けて、ぼくは坂本龍一が亡くなる前に、邦楽(和楽器を使う方の邦楽です)を聴いていたという話を思い出しました。西洋の音楽をつくり続けた人が、最後に戻っていったのは和楽器の余白だった。西洋的な拍子感覚では割り切れない音。能の謡(うたい)と、まったく同じ文脈に聞こえます。


着物と、受け継ぐということ

Nくんは、着物と浴衣を20着ほど持っているそうです。帯の貝の口を前で締めるか後ろで締めるか、博多献上柄帯の上下、池波正太郎がそれについて書いた論考のことなど、話は尽きません。

ぼくが注染工場で出会った板場さん(森本さん)を、Nくんもよく知っていました。浜松という土地で、地下水脈のようにぼくたちは繋がっている。

着物も、能の拍子も、職人の勘も、どれも記録には残っていません。そもそも書き写すことが難しい概念、感覚です。受け継ぐとは、言葉にならないものを、身体から身体へ直接渡していくことなのだと、改めて感じました。

干物と、冷えたビールの並ぶ浜松の居酒屋の卓
干物と、よく冷えたビールと

建築 ── 機構設計と、構造設計

ぼくは少し前に、和歌山で黒川紀章の展示を見て、すっかり感心していました。黒川は26歳のとき、形になった作品がまだほとんどない状態で、「メタボリズム(新陳代謝)」を宣言します。都市は生き物のように入れ替わりながら成長していく——。そんな未来像を、思想として世界に突きつけた。彼は、生き物のような有機的な営みを、工業的に生産できる部品の構造にまで落とし込んだのです。

黒川紀章が設計した中銀カプセルタワービル
黒川紀章「中銀カプセルタワービル」(1972年・2022年解体)。メタボリズムを象徴する建築。写真:Kakidai / Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)

その話の流れから、Nくんが「建築は、構造設計と意匠設計の両方をやるんですよ」と教えてくれました。彼は大学で建築を学ぶ傍ら、哲学にも興味を持った人で、好きな建築家は西沢立衛だそうです。「瀬戸内にある豊島美術館を設計した人です。水滴みたいな形の建物で、天井の穴から外の風も光も雨も入ってきて、内と外の境目が溶けている。……震えました」

西沢立衛が設計した豊島美術館の外観
西沢立衛+内藤礼「豊島美術館」。水滴のような形をした建物。写真:Kentaro Ohno / Wikimedia Commons(CC BY 2.0)

ぼくは思わず反応しました。ぼくが在籍した機械メーカーでは、設計者はみな機構設計を手掛けています。——つまり、物をどう動かすかという設計をやっていて、構造的な仕組みには意識が向いていなかった。柵をひとつ立てるにも、どこをどう補強すれば機能するのかが分からず、勘で補強をしていた。なんと構造設計ができる人が、組織にいなかったのです。建築なら必ず通る世界を、機械装置の現場では素通りしてしまっていた。

そのあと、Nくんがテンセグリティという構造の話をしてくれました。互いに引っ張り合うような、部材が互いに緊張状態を維持して、宙に浮いたまま支え合うような構造物です。黒川のメタボリズムとも、どこかで通じている。ばらばらであるはずのものが、緊張関係を保ちつつも、互いに支え合ってひとつの形になる。——これは建物の話であると同時に、人と人、つまり組織の話でもあるな、と思いました。


録音機 ── 遺すために、最新の技術を使う

ところで、ぼくはフォークカントリー・ブルースという、1920-40年代のアメリカの音楽が好きです。フォークといっても、日本の四畳半フォークとは直接関係のない、folk=民謡。ロックンロールはまだなく、ジャズとブルースとフォークもまだ明確に区別されていない時代のストリート・ミュージックです。源流をたどると、とある親子に行き着きます。

民俗音楽を録音して回ったアラン・ローマックス
各地の民俗音楽を録音して回ったアラン・ローマックス。写真:パブリックドメイン(Wikimedia Commons)

ジョンとアランという名のローマックス親子。父と息子です。1933年、彼らはアメリカ議会図書館から、当時の最先端だった315ポンド(140キロを超えるほどの)録音機を借り受け、フォード製の車のトランクに積んで南部を回りました。その道中で、刑務所に居た、レッドベリーという囚人の歌を録音する。彼は南部に継承される歌を歌いました。口伝でしか残っていなかった歌が、はじめて音として記録されたのです。過去を遺すために、彼らはポータブル録音機という、その時代の最先端の技術を使った。

アコーディオンを弾くレッドベリー
アコーディオンを弾くレッドベリー。ローマックス親子に録音され、世に知られた。写真:パブリックドメイン(Wikimedia Commons)
レッドベリー「C.C. Rider」(議会図書館録音)— Apple Music で試聴

ミシシッピ・ジョン・ハートという人のエピソードも面白い。1928年に数曲を録音したきり、世界恐慌で埋もれ、故郷で小作人をしながら30年以上忘れられていた。けれど1963年、ある研究者が彼自身の古い歌の中で「アヴァロン」という地名が歌われていたことを手がかりにその村を探し当てた。70歳を超えた本人が、まだギターを弾いて、なんとそこにいたのです。遺された記録が、35年後に本人を呼び戻した。

ニューヨークのミシシッピ・ジョン・ハート
ミシシッピ・ジョン・ハート(ニューヨークにて)。35年の沈黙ののち再発見された。写真:Bernard Gotfryd / Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
ミシシッピ・ジョン・ハート「Avalon Blues」(1928年オリジナル録音)— Apple Music で試聴

記録とは、生きたものを閉じ込める檻ではなく、消えてしまう前に、改めてそれを誰かへ手渡すための器なのだ——。ミシシッピ・ジョン・ハートを再発見したエピソードを聞いたとき、そう思いました。


暗黙知をそのまま遺せるか ── 一杯の日本酒のなかに

夜も深くなり、ぼくは日本酒のグラスを傾けながら、杜氏の記録を読んだときのことを考えていました。

徳利から盃へ静かに注がれる日本酒
一杯の日本酒のなかに

日本酒の製法において、多くはまず経験だけで確立されました。微生物の存在も、温度のことも、まだ科学的に何も説明できなかった時代の話です。
例えば火入れ——加熱して殺菌する技法は、パスツールが低温殺菌を発見するよりも前から、日本の蔵にはありました。明治のはじめに来日したイギリス人も、その技術に驚いたそうです。温度計も使わず、杜氏が酒の表面に「の」の字を書いて、指の感覚だけで適温を当てた(あとで測ればぴたりと55度でした)とのこと。数字でも理屈でもない。その感覚(センサー)の根底にあったのは、身体に刻まれた暗黙知だけでした。

明治以降はそうした継承に対して、科学的な分析がなされました。酵母が分離され、研究所ができ、精米の技術が進み、吟醸や大吟醸という新しい高みが生まれた。
——ここが大切なところです。科学は暗黙知を否定しなかったのです。土台として認めた上で、テクノロジーの力で、さらなる高みに日本酒を昇華させた。

竹のコースターに置かれた徳利とぐい呑み
身体に刻まれたひとつの感覚がはじまりだった

Nくんは深くうなずいて、ぽつりと言いました。「日本酒の製法も、江戸の人たちが試行錯誤して作り上げたものでしょう?そこにはきっと、間違いや思い違いも混ざっている。そうした「変数」や「不確定要素」をも許容した残し方じゃないと、きっと世の中は発展していかないんですよね……」

—— その言葉が刺さりました。ぼくは仕事でいつも「言語化しましょう、構造化しましょう、数字で捉えましょう」と言っている。けれど注染の職人がそうだったように、現場も経営者も、必ずしもそれを望んでいるわけではない。きれいに数字に置き換えた瞬間に、こぼれ落ちてしまうものがあるし、彼らはそれを、経験から何となく知っている。
間違いも、思い違いも、言葉にならない勘も、まるごと内包したまま残せないか。 ——2人と話していてたどり着いた、自身のモヤモヤに対する回答でした。

ここに、ひとつの希望があります。能の拍子のように、あるいは火入れの「の」の字のように、割り切れないものを無理に割り切らず、そのまま残す。

今のAIなら可能でしょう。数字にならない情報も定性的なまま、データに遺(のこ)せると思います。 ローマックス親子が、レッドベリーの歌を楽譜という構造で残さず、音のまま録音機に刻んだように。

ぼくの考えるDXは、決して効率化の話ではありません。定性事項を定量的なデータに整えたり、暗黙知を変換して形式知に置き換えることがすべてではない。
暗黙知を、変数ごと、そのまま構造に内包したまま、次の世代へ手渡していくこと。
そのために「データ」や「生成AI」という最新技術を使う。ローマックス親子の録音機のように。

ここで社名の話をします。タグクラフト。tug は牽引、craft は手仕事。引く先は確かに未来なのですが、その中身は、過去から受け継いだ言葉になりにくい思想そのものなのです。2人と酌み交わした時間が、ぼくの仕事の輪郭をもう一度鮮明に描き直してくれました。

ところで、カントリーブルースを記録した、アラン・ローマックスはこんな言葉を残しています。——文化は、それを大切に思う最後の一人が死ぬまでは、殺せない。

ボブ・ディランやローリング・ストーンズの音楽も、ローマックス親子が居なかったら、きっと形を変えていたでしょう。

だからこそ、ぼくもその最後の一人がいなくなる前に、記録しておきたいと思う。フォードのトランクに録音機を積んで南部を旅した、彼らの衝動に倣って。


この夜に立ち寄った店。おばんざいの一了と、古民家を改装した昭和31年。どちらも浜松にある、素敵なお店です。

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