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浜松でフルリモートエンジニアが、3人の子を持つ理由

文/原田 満
緑の谷と遠山が広がる、人の少ない日本の里山風景

あるイベントでその人に会った。仮にZさんとしておく。ぼくより20歳若い。すぐに意気投合して、後日あらためて2人でビールを飲みに行った。名の知れたD2C企業でアプリ開発のチームを率いている人である。

はじめて会ったときに面白かったのは、彼は、ネットの世界を、誠実さ、真摯さからの視点で眺めていたことだ。うまく消せないバナー広告などに代表されるように、ネットに邪悪なインターフェースが多いことを嘆き、子どもたちに使わせたくない、という。

彼のようなタイプには、この浜松で会ったことがない。2人で飲んだこの日、数時間かけて受け取った彼のユニークさを、書き留めておこうと思う。

ネットの中で仕事をする人

資料とノートPCを囲んで話し合う、明るいオフィスの打ち合わせ

Zさんは浜松に住んでいる。会社は東京にあるが、出社はほとんどしない。仕事は基本、ネットの中だ。

大学では工学を学んだそうだ。プログラムを書き、デバイスを動かす。浜松のSIerで働いていた頃、東京の開発案件に参加した。そこで「東京のエンジニアも、思ったより大したことないな」と感じたそうだ。だったら、わざわざ東京に住む理由はない。リモートで働けるアプリ開発のポジションに転職し、健康系のアプリを1年かけて作った。今はそこからさらに転職して、食品を扱うD2C企業でプロダクトの開発とマネジメントをしている。

大学時代に知り合った奥さんは今、教員をしているそうだ。教員という職業は、家族を含めてある意味、その土地に縛られている。それでも、リモートで働くエンジニアである彼の仕事にまったく支障はない。むしろ地方にいることが、彼のアイデンティティを形作っている。

ぼくは長く製造業の現場にいた人間である。まずこの仕事のスタイルが新鮮だった。この地域で「いい仕事」とは、まだ多くの場合、地元の大きなメーカーに勤めることを意味する。ネットの中に自分の職場を持ち、住む場所と働く場所を切り離す、という発想そのものが、まだあまり根づいていないが、これがZさんの働き方なのである。

彼との出会いも、彼の行動原則に基づく、彼らしいものだったと思う。Zさんはあるとき、子どもと農園に遊びに行った。そこで店主と知り合いになったことが広がって、めぐり巡ってぼくとも出会った。休みの日に子どもと畑にいる、川を巡る、彼の生き方の延長にたまたま僕が居合わせたのだ。

「人口が増える世界線に寄せたい」

雑談の流れだった。どこからそういう話になったのか覚えていないが、子育ての話から、Zさんがこう言った。

「人口が増える世界線に、寄せていかないと」

ぼくは思わず聞き返した。「人口」という言葉が、個人の口から、しかも自分の生き方の話として出てきたことに、少し驚いたのだ。

これまで、いろんな人と会ってきたが、人口減少を「自分の課題であり、社会の課題でもある」と話す人に出会ったのは、初めてだった。人口流出や、人口減少が社会的な課題だということは、ニュースでも毎日のように聞くし、誰でも知っている。それでも、それはどこか他人事で、自分の課題ではない。少なくともぼくにとっては、政治や社会全体の課題であって、個人が関われることではないと思っていた。

しかしZさんにとっての人口は、抽象的な社会問題ではなく、自分の生活の設計に組み込まれた前提だった。
原点は大学時代にあるらしい。研究で被災した地域に何度も足を運んだ。そこで、人がいるからこそ経済が回り、文化がつながっていく、ということを、理屈ではなく体感として持ったのだという。
中国の経済がなぜ伸びたのか。結局は人の数だ。自分の子や孫の代を考えたときに、人が増える方向に社会を設計していかないと、様々な場面で立ちいかなくなる。

緑の芝生の上で両手を上げて喜ぶ、後ろ姿の子ども

Zさんには子どもが3人いる。男の子と男の子と女の子。成り行きでもなく、見栄でもなく、彼にとって子どもを持つことは、ここまでの思想の延長線上にある。人が減っていく社会で、自分は人を増やす側に立つ。言葉にすると重く聞こえるが、本人はいたって軽い様子だ。上の男の子はスポーツには目もくれず、マインクラフトに没頭する一点集中型で、手を焼いていると笑う。この3連休も子どもたちと過ごしていたそうだ。

社会起業家を名乗るわけでもなく、政治的な大風呂敷を広げるわけでもない。自分の暮らしの中に、人口問題やそれを取り巻く社会、子育ての意味が、自然となじんでいる人だ。

子育てを、性能の問題として見る

そこからのZさんの子育ての話は、さらに独特だった。子育てを、ある意味ソフトウェアのように捉えている。なぜこんなに大変なのか、その大変さの正体は何か、どこを変えれば楽になるのか。まるで扱いにくいシステムを前にしたエンジニアのように、彼は自分の子育てを眺めていた。

ぼくが、今大学生の娘を育てはじめたとき、最初は何もわからなかった。そんな場合、子育てを教えてくれるのは親だ。夜中に起きてミルクをやる、もちろん大変だと思ったが、その「大変さ」こそが子育てなのだと、親の世代から受け取ってきた。だからまず、その大変さを基準に、前提条件として置いてしまう。便利になった今の時代の視点を持って、子育てそのものを設計し直そう、という発想には、なかなかならなかった。

話を聞いていて、想像してみた。ぼくらの親の世代は、今よりずっと不便な暮らしをしていたはずだ。それでも多くの人が、たくさんの子どもを育てた。戦後すぐの写真を見ると、子どもが子どもを背負って小学校へ通っている。便利になったはずの今、逆に子育てが大変だと言われ、子どもを持ちたくないという人たちが増えている。どこかが、ねじれている。

Zさんはそこまで言葉にしていなかったが、それでも話の延長線上には、便利さが、子育ての大変さを引き受けてくれる未来を描いているような気がした。人がもっと安心して、もっとたくさんの子を育てようと思える未来。技術が本当に人の役に立つなら、向かうべき方向だ。彼が「人口が増える世界線」と言うとき、その先にはこういう景色が見えているはずだ。

未来が良くなる、という前提で世界を見る

飲みながら、ぼくは本人に確かめてみた。

「Zさんは、原則、未来に期待しているんですね。未来は良くなる、という前提で世の中を捉えている」

彼はそうだ、と言った。

この人の話は一貫している。AIが仕事を奪うとか、人間の居場所がなくなるとか、そういう不安の側からは物事を見ていない。AIが浸透したら何ができなくなるか、ではなく、何が突破できるようになるか。人口の制約も、資源の制約も、これまで人類が超えられなかった壁を、これから超えていけるかもしれない。彼はそうやって世界を眺めている。

ぼく自身も、その未来に共感する。製造業の分野で「これはAIにはできないだろう」と粗探しをするより、彼が描くような、壁を突破していく側の話のほうが、聞いていて面白い。

「世界線」という言葉を使ったことも、印象に残っている。人口が増える世界線。未来が突破できる世界線。そこには、今はこうだが、選び方しだいで別の未来が描ける、というニュアンスが隠れている。未来は決まったものではなく、どちらの世界線に寄せるかは自分たちしだいだ。彼はたぶん、本気でそう思っている。

30年後も、酒を飲んでいる前提で

Zさんは時間の物差しも長かった。

彼はAIをよく使う。Claudeというツールを、月に100ドル、忙しい月は200ドルほど課金しているそうだ。開発の仕事だけでなく、たとえば「こういう酒が好きなんだけど、どこで買えるか」といった調べ物にも使う。子どもたちも、AIに質問してゲームをしたりしているという。道具として、生活のあちこちに入り込んでいる。

ただ、彼が効率化そのものを目的にしている様子はなかった。AIで仕事を早く終わらせて、浮いた時間で何をするのか。そこに、彼の生き方が現れる。

医療はさらに進み、寿命も延びる。自分たちはたぶん30年後も、こうして元気に酒を飲んでいるだろう。時間はまだたっぷりある。目の前の仕事を片づけて一生を終えるには、人生はまだ長い。

話を聞きながら、前に話題になったエンジニアを思い出した。Claude Codeを作ったAnthropicボリス・チャーニーという人だ。彼は以前、奈良の農村に住んでいた。町で唯一の外国人として、近所の人たちと味噌を仕込んでいたという。味噌は、仕込んでから食べられるまで1年かかる。その1年を時間軸とした暮らしが、長い時間軸で、ものを考える構えを育てたのかもしれない、と語っていた。テック業界は、1週間で昨日の常識がひっくり返る世界だ。その最前線にいた人間が、季節がゆっくり巡るだけの場所を選んだ。Zさんもぼくも、その生き方に惹かれる。

長い時間軸で考えれば、今、なにに力を注ぐべきなのか、答えも変わってくる。短期的に得る損得ではなく、30年後の自分や、子や孫の代から逆算して、今日をどう使うかが見えてくる。Zさんのキャリアの選び方も、子どもの数も、AIの使い方も、根っこは全部つながっている。効率化で浮いたものを、長い時間の過ごし方に振り向けている。

ぼくはここでも、製造業の現場を思い出さずにいられなかった。この地域では、多くの人が、上(上司・顧客・社会)から言われた仕事に100点を取ることを、仕事の正しさとして生きてきた。ぼく自身もそうかも知れない。楽しいかどうか、自分が本当にやりたいかどうかは、2番めに置くものだった。ところがAIの時代になって、その前提がぐらついている。自分が心からコミットできることに力を注いだほうが、かえって成果につながるかもしれない、という世界に変わりつつある。

Zさんは、その世界にすでに立っているのだと思う。楽しいと思えることに素直に時間を使い、気づいたら今の場所にいた、と言うだろう。端からみたら意味が分からなくても、その生き方はずっと地続きであるのだろう。

数だけの話ではなく

なぜこの考え方は面白いのか。

たぶん、彼の中では「人を増やす」ことと「AIで効率を上げる」ことが、まったく矛盾していないからだ。ふつう、この2つは逆を向いている(と思われている)。人手が足りないからAIで補う、少ない人数で仕事を行うために機械に導入する、という話になりがちだ。けれどZさんの頭の中は、AIで浮かせた時間やリソースを、人を増やし育てる側に回す、という順序だ。効率化は、人を減らすためではなく、人に向き合う余白をつくるためにある。

これは、製造業の話にそのまま重なる。人が来ない、募集しても集まらない。だから自動化する、AIに任せる。その発想は正しい。ただ考えなければならないのは、できた時間を、そのあと何へ向けるのか。多くの現場ではその前に、目の前の効率だけで話が終わってしまう。

道具で時間を浮かせることと、その時間を何に使うかを決めることは、別の思想に基づく。前者はこれからますますAIが手伝ってくれる。後者は、自分で決めるしかない。30年後の自分たちの姿から逆算したとき、その時間をどう使うのが正しいのか。

20歳年下の彼は、ぼくよりもずっと長い視点で社会を見ていた。
はじめは、エンジニアである彼から、AIの使い方だったり、これからAIがますます力を持っていく世界の話を聞いているつもりだった。それがいつのまにか、ひとりの人間が社会のどこに自分を置き、何に価値を見て生きているのか、という話になっていた。効率の話をしていたはずが、生き方の話をしていた。

僕がAIを使って生み出した時間は、何に使うのだろう——。うまく言葉にできないままだが、しばらく残りそうな問いかけだ。

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